奈良再考 「勧進帳」に息づく?ルネサンス?

奈良再考 「勧進帳」に息づく?ルネサンス?
日経新聞 2010/04/26
http://www.nikkei.co.jp/

来月4日、大阪の松竹座で歌舞伎公演「団菊祭」が始まる。関西初の団菊祭の呼び物が「勧進帳」。僧の重源が、後白河法皇の勅命を受け霊場再建のため、諸国を巡り寄進を募る。「かの霊場」とは東大寺のことである。

 天平時代に聖武天皇の勅願で大仏と大仏殿が建立された東大寺も、平安末期の1180年、平重衡による南都焼き打ちで大仏殿ごと焼失炎上した。

 「勧進帳」の成立を「大仏再建という国民的な願いが後世の芸能の中に受け継がれた」とみるのは『弁慶はなぜ勧進帳をよむのか』を著した小峰彌彦大正大学教授。東大寺の復興は、室町、江戸時代の能・狂言作者が意識するほどの重大事だった。

 南都復興は、東大寺興福寺といった寺院の再建にとどまらない。よく知られるのは、宋の儀式を取り入れた壮麗な東大寺南大門の建築と運慶、快慶らによる仏像彫刻の数々だろう。しかしそれだけではなく、「重源らの僧侶の勧進活動は、各地に庶民信仰の波を起こす」と五味文彦放送大学教授は言う。大仏の開眼供養では読経や舞・音楽の舞台が庶民的にも開放され、寺院における芸能舞台勧進興行の先駆けにもなった。

 さらに和歌の新時代にも影響を及ぼしたことが、最近の研究でわかってきた。村尾誠一東京外国語大学教授は「『新古今和歌集』は南都復興時代を映す歌集」と指摘する。「新古今集」に 「ふるさとと思ひなはて そ花桜かかるみゆきに 逢ふ世ありけり」 という読み人知らずの歌がある。これは1195年、東大寺大仏殿の供養が催された年の歌で、後鳥羽天皇の御幸を「こんな世になるなんて」とことほいでいる歌である。

村尾氏によると「ふるさと」とは、人が住まなくなってさびれた土地を指した。それが今、京都から天皇行幸し壮麗な落慶供養が催されるまでによみがえったのである。その後、この「ふるさと」は、時代が重大な転機を迎えるたびに、呼び起こされることになる。

平城京遷都

勧進興行」なるほど、今ならチャリティコンサートとかも含めて基本は同じ。社寺境内でのイベント(興行)はもっと増えてもいいのではないかな。

「ふるさと」の語源というか、もともとの意味は興味深いです。