七代目小川治兵衛作庭「織寶苑」よみがえる

真如苑が取得(真澄寺別院 流響院を開設)

京都新聞ウェブニュース
七代目小川治兵衛作庭「織寶苑」よみがえる
真如苑が取得

真如苑が取得した「織寶苑庭園」。七代目小川治兵衛の作庭で、東山を借景に奥行きある景観をつくる(京都市左京区
 宗教法人「真如苑」(総本部・東京都立川市)は、七代目小川治兵衛が明治・大正期に作庭した「織寶苑(しょくほうえん)」(京都市左京区南禅寺下河原町)を取得し、来春に「流響院(りゅうきょういん)」の名称でオープンする。すでに庭と建物の再現・修復を終えている。普段は教団の別院として法話や講演会に使い、春と秋に一般公開する。

 2006年1月、前の所有者から明け渡しを受け、同年4月に修復に取り掛かった。

 日本家屋は戦後に進駐軍が接収した際、内装が洋風に変えられたが、大正時代の図面や写真を参考に再現した。完全に取り払われていたふすまや畳を新しく入れ、ふすま絵は日本画家の森田りえ子さんやグラフィックデザイナーたちが描いた。庭園も、川の一部が埋められていたが、地面を掘り、遺跡のように残っていた流れを復活させた。バルブ室は庭園の裏へ移設し、倉庫は管理棟として和風に建て替えた。

 真如苑は庭園の取得について「伝統教団の本山が集中する京都に新たな活動拠点を設けたい」と説明する。今後、建物内に本尊を安置して参拝場所を設け、庭にも地蔵尊を安置するという。

 明治・大正期の京都を代表する庭園でもあり、毎年春と秋に人数を限定して一般にも公開する。「日本の伝統文化の保存、発信にも貢献したい」としている。

 ■織寶苑

 1909(明治42)年ごろ、七代目小川治兵衛が息子の保太郎と作庭した。琵琶湖疏水の水を引き入れた池泉回遊式庭園。マツやモミジなど約70種、1000本以上の樹木があり、東山を借景に、奥深い景観をなす。福地庵、巨陶庵、織寶苑と所有者が変わるたびに名称も変わった。約8100平方メートル。

新しい教団施設・流響院(りゅうきょういん) について


京都東山南禅寺界隈の一角、に新しい教団施設「真澄寺別院 流響院(りゅうきょういん)」を開設することとなりました。

当施設は、教主様ご生誕100年の2006年から建物・庭園の修復を進めてまいりましたが、ここに無事終了し、これから、来年の春の開設にむけて準備を進めてまいります。
文化財としても価値のある施設で、今後、寺院として、宗教・文化交流の場として、活現してまいります。

真如苑のWEB的解説・流響院(りゅうきょういん)=織寶苑(しょくほうえん)